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2013年9月 2日 (月)

この話しの方が「防災」として重要である

■火災旋風で家族失った 市川ふみ子さん(97)

 逃げようとして重なり押しつぶされた人、押し寄せる炎に焼かれた人、隣接する隅田川は溺れた人であふれかえっていた。...

 「生き地獄だった」。関東大震災当時、小学2年生だった市川ふみ子さん(97)=神奈川県平塚市=は、避難者の95%に当たる3万8千人が死亡したとされる被服廠跡地(東京都墨田区)で、目にした光景を思い出し唇をふるわせた。

 平穏な土曜日の昼下がりだった。大正12年9月1日午前11時58分。夏休みに患った肺炎から回復した市川さんは祖母や両親、3人の弟妹と快癒を祝った赤飯を食べようと準備をしている最中に大きな揺れに襲われた。

 家族7人で避難した先が、自宅から約200メートル西にあり、約6万6千平方メートルの空き地が広がる被服廠跡地だった。「近所の人もみんな来ていて、すぐに家に帰れると思っていた」。だが、午後4時ごろ、晴れわたる空が急に薄暗くなり、「ウー」という音とともに徐々に大きくなっていく竜巻が押し寄せてきた。

 火災時に生じる「火災旋風」。まだ小さかったため逃げる間もなく、旋風に巻き込まれた。

 奇跡的に4畳半ほどの水たまりに落ちて助かったが、「人も馬も大八車も、みんな巻き込まれて空に飛ばされていった」。両親とはすぐに再会できたが、母親が背負っていた当時10カ月の妹はすでに息絶えていた。

 「煙で夜のように暗くて、熱で目はほとんど見えなかった」。おぼろげに見えたのはオレンジ色の炎が上空から舞い落ち、髪に付けていた油に引火して逃げ惑う女性。「助けて」「水をくれ」という断末魔の声が響き渡る。重なって倒れた犠牲者で足の踏み場もなく、「ごめんなさい」と言いながら逃げる際に踏んだ柔らかい感触が忘れられない。

 祖母と弟妹の遺骨は見つからず、何日かして犠牲者を集団火葬した遺骨の山に手をあわせた。お墓には焼け落ちた自宅跡から見つかった茶碗(ちゃわん)のかけらをおさめたが、家族を失った実感はすぐには湧かなかった。「あまりにショックで、何も感じなかった

 90年という歳月が関東大震災の記憶を風化させつつあることに危機感を覚えているという。

 「今もあの時を思い出すと震えが止まらない。震災はいつやってくるか分からないし、東京が被災地だった時代があることを忘れないでほしい」

ライブドアニュースより引用

「天災は忘れたころにやってくる」この話はまさに「防災」を考える上重要である、このような「重要」な体験を報道しないで馬鹿の一つ覚えみたいに「チョン」の虐殺ばかりを言ってる馬鹿左翼は防災意識・危機意識ゼロの大馬鹿である。

このように実際「関東大震災」を潜り抜けてきた人は貴重である。

「チョンの虐殺」よりこのような「体験談」を報道して欲しい。

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