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2013年7月24日 (水)

インターネットがつまらない=自分がつまらない。発信ができるからこそインターネットの魅力。

インターネットはどこまでも自己選択なメディアであり、自己責任なメディアでもある。「面白いものが観たければ自分で面白いものを探せ。面白くないインターネットなら、面白い場所やアカウントがみつかるまでネットサーフィンしてみろ」――遠い昔のネットユーザー、それこそネットスケープナビゲーターが幅を利かせていた時代を知っている人にとって、それがネットの常識だったと思う。リンク先の文章を書いた人も、過去のインターネットを知っているならその事を知らぬわけでもあるまい。

 そしてインターネットの自由度が高いからこそ、その人のインターネットの楽しさや豊かさは、その人自身を反映したものになる。自分が何を観るのか?どのように観るのか?そして誰と言葉を交わすのか?すべてが自分の意志に委ねられ、一人でディスプレイと向き合っている時に何者にも干渉されないからこそ、インターネットはその人自身を映す鏡となる。だから、インターネットがつまらないと言って憚らない人は、鏡にうつった自画像に向かってつまらないと言って憚らないのも同義だと思う。
...
 マスメディアから発信される情報をパッシブに消費するだけの立場なら、自分のことを棚に上げて「テレビ局つまんね」「○○新聞つまんね」と毒づく余地はあったと思う。テレビにしても新聞にしても、自己選択の余地はあまり無いのだから。けれども、インターネットの視界や観測範囲が限りなく自己選択の所産である以上、マスメディア批判と同じアングルで毒づいてしまうと、インターネット批判というより、自分自身批判というか、その人自身のつまらなさや受動的なネットユースを告白するような状態になってしまって、あまり見てくれの良いものにはならない。

BLOGOSより引用

インターネットは「発信・受信」ができて成り立つメディアである、デジカメもって写真を貼り付けるのもいいし、ビデオカメラで「YOU TUBE」や「ニコ動」などあげるのもよし、近所のラーメン屋が「美味い」と書いてもこれも立派な発信である。

この意見について「自分はこう考える」と記事を引用して書くのよし。

インターネットは自分の製作能力が問われる、自分の意見と主張が問われる。

自分の好みのアイドルだってかまわない、アニメだってかまわない、記事により「同好の主」が寄って来る、本当に見るだけだったら「テレビ」「新聞」「雑誌」でかまわない。

しかしインターネットはウソもあるが偏向しない記事もある、テレビ・新聞・ラジオ・雑誌はウソと偏向だらけだ、こいつらを信じるならまだ「川崎競輪」の予想屋のオヤジの方があてになる、競輪・競馬は自分で考えるから面白いのだ。

自分も発信する事でインターネットの価値が大きくなる、スマホも通じない殺人事件の起きた山村の集落ではない。

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